楽をするために霊視があるのではなく、努力するために霊視がある

霊視とかできて占いができると、自分の将来のことがわかって特に苦労もなく幸せに暮らせるんだろうなぁ、なんて思っていた時があったんです。

でも、それって全くの思い違いだったんです。

たとえば、「これからどこどこの学校を受験するけれども、もしこれが受かったら留学したいと思っていて、何歳までに卒業したい」という相談者がいたらしいんですよ。

霊視ができる友達は、この相談者の計画は思い通りにはいかないことが見えてしまったらしいのです。

そこで、「とりあえずその進路は置いといて、こういう資格をとってこういう人生を歩んだらどうですか?」というふうに、相談者にとってベストなアドバイスをしてあげたらしいです。

一見冷たいように聞こえますが、それも試行錯誤したうえでのことに違いないのです。

「そうしておかないと、後で『ちょっと!結局ダメだったじゃないですか』と言われちゃっても、それも大変なんです」ということらしいです。

「こうするとこうなりますよ」という、なんとなく見える結果みたいなものをあらかじめ提案するのです。

最終的には、相談者のほうが、そうなるんだったらやめておこうかと判断するんです。

それで、「じゃぁ、そうしてみよう」といい未来へと進むきっかけを手に入れるんですね。

作品が書けなくなってしまったという相談もあったらしいです。

その場合は、その相談者の時問を先に進めて、「未来ではこういう作品を書いていらっしやいますよ」とアドバイスするみたいです。すると、気が楽になって安心してくれたみたいです。

「その人が、一生を通じて経験することなので、それを先に知ることは、別に楽することではない。つくるのは本人ですが、ヒントを差し上げることはできるのです」

占ってもらうということは、楽をするということではないのですね。

アドバイスを受けた後にいかに努力するかが大事なんだなぁと思いました。

 

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